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コメットだより☆彡

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~光よ 永遠に~

誰もが懐かしく

誰もが懐かしく思える日本語のレクイエム

混声合唱とピアノのための組曲「鎮魂の賦」は
 時の逝く 家居に 鎮魂の呪 死は安らかである 春の日
の5曲からなる鎮魂曲(レクイエム)だが、
特定の宗教のためのレクイエムではなく、
戦死者等誰か特定の人のためのレクイエムでもない。

作詩者は次のように書いている。
☆☆☆
往古から私たち日本人は、
西欧的な意味での宗教は持たなかった。
もっと人間的で親しい神を持っていた。
その神々はご先祖たちの御霊で、
超絶的な存在ではなかった。
節日が訪れれば、
子孫どもの招請に応じて懐かしい家に帰り来て、
一緒に飲んだり食ったりしてお帰りになる。
そういう存在だったのである。
そうして、
死ねば私どもの魂は、
「常世(とこよ)」というめでたいところへお帰りになって、
また次の出番が来るまで時空を超越してフワフワしておられるのであった。

私はこういう死生観を愛する。
ご先祖さまたちの魂が私どものこの世にちかいどこかにおられることをありがたく想像する。
そうして、
そういう魂に呼びかけること、
語りかけること、
ともに喜んだり悲しんだりできること、
それをめでたいことに思う。
この鎮魂曲は、
そういう意味で、
宗教のドグマ(教義)とは毫(ごう)も関係なく、
しかし、
温かい気持ちで死者に心を通わせたいと願って書いた。
☆☆☆
死は誰にでもやって来る。
生きるということは、
死にむかって歩いていく、、
ということだとも言える。
死して別れることは寂しい、
けれども、
それはけっして嘆き悲しむべきことではないのだよ、
現世(うつしよ)から去ったとしても消えて居なくなってしまうのではないのだよ、
そんな風に語りかけるこのテキストを読んだ時に、
わたし自身が救われた気がした。

モーツァルトは父に宛てた手紙に
「死の姿は恐ろしいものであるどころか、
 むしろ心を安らかにし、
 慰めてくれるものなのです」
と書いている。
聴いた人や演奏する人がそんな風に思えるようなレクイエムを書いてみたい。
キリスト教徒でなくても、
すべての人がどこか懐かしく思えるような、
日本人が日本語で歌えるレクイエムを書いてみたい、
そんな風に思いながら作曲した。
☆☆☆
「家居」は、
あたたかく懐かしい日々を歌った歌。
亡くなった人が空の上から、
大きな愛情につつまれて過ごした日々を懐かしんで歌う歌であり、
あるいは、
誰か大切な人を亡くした人が、
その人との想い出を歌う歌であるかもしれない。

(作曲者からのコメントより)
by comet1958 | 2008-06-25 20:58

by comet1958